社員ブログ
赤色の染め ~顔料編~
こんにちは、大本染工の社員Mです。
今回は私たち染め屋のお仕事に欠かせない、
色についてのお話を書いていこうと思います。
私たち大本染工では、色の安定性や堅牢度等の観点から化学染料(合成染料)で捺染しています。
しかし、人類の歴史においては、合成染料が生まれたのは19世紀とかなり最近のことなのです。
化学染料の誕生以前、人類は草木や鉱物、虫などから染料を採取して布を染め上げ、
色そのものに意味を与え、文化を作ってきました。
染料・顔料について掘り下げていくと、人類の歴史・文化や
当時の色彩観が見えてきてとっても面白いですよ!
ここでは日本で広まった染料と顔料を中心に、一緒に見ていきましょう♨
ちなみに、染料と顔料の用途や相違点については
前々回の記事で詳しく触れているので、是非読んでみてくださいね👇👇
赤の由来と起源
色材についてお話しする前に、まず赤色の起源について軽く触れておきましょう。
日本語の「赤」という言葉は、「明け」「明るい」という言葉が由来とされています。
ちなみに、黒は「暮れ」「暗い」、つまり日が暮れてあたりが暗くなる事象に由来します。
古代の人々は、日昇と日没によって色を認識し始めたのですね。
補足ですが、この次に色として認識されたのは青と白といわれます。
青は「淡い」、白は「顕し(しるし)」、ぼんやりとしたものとはっきり顕著に見えるもの…
言葉の意味が対をなしているのが面白いですよね。
赤・黒・青・白、この4色が日本では古くから歴史のある色だといえるでしょう。
とりわけ赤は、黒と並んではじめて人々が認識した色だったのです。
赤色の顔料
縄文時代、人々は土の中から赤い鉱物を発見し、土器や顔に塗っていました。
神への祈り、占いや呪術、戦いの装飾として顔に塗る粉=『顔料』と呼ばれるようになったとも。
色のついた土、植物、貝殻などを燃やしてその灰を動物の油や水に混ぜていたのが、
現在の顔料インクの原型とされます。
日本の代表的な赤色顔料(の原型)として、
弁柄(べんがら)・朱・鉛丹(えんたん)の3種類が挙げられます。
< 弁柄(べんがら)>
酸化鉄を主成分とする赤色顔料です。
インドのベンガル地方より輸入したことから、江戸時代以降「ベンガラ」と呼ばれるようになりました。
原料となる赤鉄鉱や黄土は他の顔料に比べて比較的入手がしやすく、
土器、陶漆器や家屋など、工芸品等に多く利用されてきました。
人体に無害で経年変化にも強く、繊維素材の染色にも利用されています。
弁柄染めのれんなんかも見たことありますが、顔料によって厚みが増した表面と深い赤色が渋くて
かっこよかったなあ、と筆者自身記憶しています…
ヨーロッパでは、1万7000年以上前に描かれたと推定される
ラスコー(フランス)やアルタミラ(スペイン)の洞窟壁画にも使われたとされます。
日本では7世紀ごろの茨城県の虎塚古墳、熊本県のチブサン古墳の石室内壁画などに弁柄が使用されています。
こういった装飾的な壁画には、古代人のロマンを感じますね((o(´∀`)o))
< 朱(しゅ)/ 辰砂(しんしゃ)/ 丹(に)>
朱は硫化水銀を主成分とする顔料です。
邪馬台国について記された3世紀ごろの中国の書物『魏志』倭人伝には、
「倭人は朱・丹を身体に塗っていた」という記述があり、国内外問わず長い歴史を持つ顔料の一種です。
産出地であった中国の辰州(現在の湖南省付近)の地名に由来して、
「辰砂(しんしゃ)」あるいは「丹(に)」とも呼ばれます。
原料の鉱物としては「辰砂(cinnabar)」と呼ばれることが多いです。
三重県の丹生地域は古代から水銀産地として知られ、文字通り丹の生産地でもありました。
2~5世紀には「丹生(にう)氏」と呼ばれる、辰砂を採掘し朱を精製する技術を持った一族が
辰砂を求めて移り住んだとされます。
そのため、紀伊半島・四国・九州などの水銀産地には丹生という地名や、
一族の守神である丹生都比売(にうつひめ)を祀る丹生神社が多く残っているのです。
また、古くから神社の鳥居の着色に使われていた顔料で、社寺の建造物塗装のことを「丹塗り」といいます。
少し話が逸れてしまいますが、ここでひとつ小話を。
なぜ、神社の塗装には朱が用いられるのでしょうか。理由は主に3つ挙げられます。(諸説あり)
・色
・毒性
・防虫、防腐効果
ひとつずつ見ていきましょう。
まず1つ目、朱色=永遠性・不老不死の象徴であったため。
この色彩観は、古代中国の練丹術に由来しているとされます。
練丹術(れんたんじゅつ)とは、朱のもととなる
辰砂から不老不死の薬(仙薬)を製造する試みのことです。
当時の人々は辰砂の赤褐色を血液と結びつけ、この鉱物に神聖性を与えました。
また、辰砂は加熱すると白銀色の水銀へと変じ、
更に加熱し続けると再び赤い酸化水銀になり、更に加熱すると再び水銀へと変化します。
このような色が変化する特性も、生と死の循環性を想起させることから、
不老不死のイメージと結びつけられたと考えられます。
そして、2つ目の辰砂の毒性について。
朱=硫化水銀そのものは有害物質ではありませんが、元となる硫黄と水銀はどちらも毒性の高い物質です。
硫化水銀を500℃の高温で加熱したときに発生する水銀蒸気を吸い込むと、人体に悪影響を及ぼします。
一説によると、その毒を持って魔を除けるという意味合いがあったのではないかと云われます。
また、弁柄同様に金属物質が原料のため、防虫・防腐効果があります。
木造建築を腐食から守るため、一種の防腐剤としての役割もあったのです。
日本では辰砂が大変高価であったため、生地への染色はほぼほぼ行われなかったようです…
16世紀頃には人工的に硫化水素の顔料「バーミリオン(vermilion)」が作られるようになり、
現在では天然の辰砂から作られる顔料は「真朱」、人工の朱は「銀朱」と区別して呼ばれるようになりました。
いつの時代も天然物にあこがれるのは人間の性ですね…
< 鉛丹(えんたん) >
貴重だった朱に代わり、四酸化三鉛を主成分とする鉛丹という顔料が
寺社建造物の塗料として現在は使用されています。
ということで、現代においては「丹塗り」=鉛丹あるいは朱で塗ることを指します。
元来中国では「丹」=水銀系赤色顔料の朱を指しますが、日本では鉛丹のイメージが強いようです。
鉛丹は、日本では仏教美術と併せて伝来し、以降広く使われるようになった顔料です。
鉛の原料となる方鉛鉱は、全国各地で広く採掘されていたようです。
辰砂よりも黄身がかった赤色、橙色に近い色味が特徴的です。
建築の塗装や陶磁器の釉薬、絵具といった塗料としての用途に留まらず、
酸素を遮断する性質を持つ故に、金属の錆止めとしても使用されていました。
古代ローマのポンペイ遺跡で多く使用されたことで有名です。
また、奈良県の正倉院宝物の着色にも鉛丹が多く用いられています。
粉末状の鉛丹も宝物庫内に保存されているんだとか…!
古代の人々がいかに彩色を重んじていたのかが伝わりますね。
まとめ ~顔料から染料へ~
赤の顔料「弁柄」「朱」「鉛丹」について触れましたがいかがでしたか?
古来より日本では、顔料は体や土器、建築物などに塗布することが多く、
染料に比べると生地への染色に使われる機会は少なかったそうです。
やはり染色技法が確立する近代以前では、顔料染めは色落ちなど課題が多かったみたいですね…
今日では技術の進歩により、顔料のメリットを生かしつつ染料に近づけた色材等が登場していますが、
古代の染色文化においては染色堅牢度や身にまとう際の重量、風合い等から鑑みて、
染料が最適な色材だったと考えられます。
今回は染色の材料としてはあまりご紹介はできませんでしたが、(タイトルいずこへ…)
赤の歴史に触れるにはこれら顔料についての説明が必要だったのでどうかご容赦ください…(・・;)
ということで、次回は本命・赤の染料についてお話ししようと思います!
それではまた♨
参考文献リスト
・堀石 七生, 2002, 「ベンガラのアートと科学の間で」, 『粉体および粉末冶金』49(12): 1121-1127, (2024年11月取得, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspm1947/49/12/49_12_1121/_article/-char/ja/).
・國本 学史, 2009, 「日本古代8世紀の赤色について」, 『日本色彩学会誌』33(3): 251-262, (2024年11月取得, https://dl.ndl.go.jp/pid/10749211/1).
・日本室内装飾事業協同組合連合会, 2024, 「赤色の歴史」, 日本室内装飾事業協同組合連合会(略称:日装連), (2024年11月取得, http://www.nissouren.jp/laboratory/laboratory_detail/106035585850816da6759bf).
・嶋澤 るみ子, 2005, 「人類は水銀をどのように利用してきたのか : 科学史における水銀の役割(講座:教育現場における学生からの素朴な疑問2)」, 『科学と教育』53(3): 148-150, (2024年11月取得, https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/53/3/53_KJ00007744238/_article/-char/ja/).